コンサルタントの大事な道具「言葉」の誤用にご注意!

言うだけなら簡単ですが…… 本当のお客様第一とは?

よく言われることではありますが、私たちのまわりで飛び交っている言葉によく耳を傾けてみると、本来の意味とは違う日本語の使い方が蔓延していることに気づかされます。
「二つ返事」(快く承諾する)を「一つ返事」と言ってしまったり、「舌先三寸」(本心でないうわべだけの巧みな言葉)を「口先三寸」と言ってしまったり、「食指が動く」(あることをしてみようという気になる)を「食指をそそられる」と言ってしまったり、というような単純に間違えておぼえてしまっている場合も多いのですが、中には、本来の意味とは違った、時として真逆の意味で使ってしまっているような例もたくさん見られます。
住宅コンサルタントとしては、お施主様との会話の中で正しい言葉を使うことを心がけたいものです。
今回は、そんな意外と間違えやすい日本語の例をご紹介します。

コンサルタントとしては、知らずに使っていたら恥ずかしい日本語

観客席は号泣の嵐?

「全国のファン号泣、涙腺崩壊」などという見出しをネット上ではよく見かけますよね。
そういう見出しをつけている側や、それを読む側が思い浮かべるイメージは、「声を押し殺して号泣しているファンの姿」といったところでしょう。テレビのニュースショウなどでも、例えば悲惨な事故で亡くなった方のご遺族などがさめざめと泣いている様子を「号泣」と称したりもしていますが、これはあきらかに間違いです。
というのも、「号泣」の「号」というのは、「大きな声を出す」ことなのです(同じように「号」が付く言葉に「号令」「怒号」といったものがあります)。ですから、「号泣」とはすなわち「大きな声を上げて泣くこと」なのですね。2016年に話題になった兵庫県の県議の「号泣会見」、あれがまさに「号泣」なのです。
「感動ストーリーに観客席が号泣に包まれた」などと宣伝されている映画があったら、さぞかし騒然としていて、映画など見ていられないことでしょう。

「煮詰まる」ことは悪いことじゃない

「交渉はなかなか進まず、だんだん煮詰まってきた」
そういわれると、交渉が平行線で進まず、うまくいっていない状況のように聞こえてしまいませんか。
「煮詰まる」というのは、煮汁がなくなるまで煮込んだという料理の様子を表しているわけですが、これは煮物という料理がほぼ完成した状態にある、ということです。つまり、納得するまで話し合って結論が出る、という様子を表す言葉が「煮詰まる」なのです。本来は話し合いの出口が見えたという良い意味ということになります。
あたかも、煮物を煮過ぎて失敗したというマイナスなニュアンスで、逆に捉えてしまっている人が多いのではないでしょうか。思い込みってこわいですね。

爆笑と失笑

同じように、「爆笑」にも違和感を感じることが多くありませんか。
ネットの掲示板で「爆」などと書かれたことが発祥のように思うのですが、「一人で大笑いすること」も「爆笑」と呼んでいる例が多いのです。
本来は、大勢の人が一斉にどっと笑う様子を意味する言葉で、爆笑よりも大きい規模で笑う様子を表す場合には「大爆笑」とも言います。だから「一人で爆笑」というのは誤用です。
「爆」には「ものすごく」「大変」という強調の意味もあるため、一人であっても大勢であっても、大笑いをすることを「爆笑」と表現することに違和感がなくなってしまったのかもしれません。人によっては、誤用と知りながらも笑っているシチュエーションを強調するために、あえて使用されることもあるようです。

似たような誤用として、「失笑」という言葉があります。
「失笑」とは本来、「こらえきれずに吹き出して笑ってしまう」さまを表すのですが、最近では、約6割の人が「笑いも出ないほどあきれる」という意味で使っているそうです。
「あんなことでミスするなんて、まさに失笑もんだよ」
などという言い方が誤用だということがわかります。ある調査では、「あきれる」という意味で捉えていた人の割合は60.4%にものぼるそうですから、かなり広い範囲で誤用が進んでいることがわかります。
愚かな言動を繰り返して笑われる様子を表す「失笑を買う」という慣用句を、誤っておぼえてしまっているということでしょう。

破天荒キャラは豪快ではなかった

最近では、お笑いコンビ「平成ノコブシ」のボケ担当である吉村崇さんが「破天荒キャラ」と呼ばれているそうです。客席いじりをしたり、司会者を無視して騒いだりする傍若無人ぶりがあだ名の由来のようですが、「破天荒」という言葉は「前人未踏」という意味であって、「豪快」というニュアンスはありません(中国が唐だった頃に、官吏登用試験の合格者が1名も出なかった荊州が、未開の荒れ地という意味の「天荒」と呼ばれており、試験に初めて合格した人物が「天荒を破った」と言われ、誰も成し遂げたことのない偉業を達成することを「破天荒」と呼ぶようになったという逸話が元になっているようです)。

うがった見方をすれば、洞察力のある人になれる?

うがった見方をするという言葉があります。これは、相手のことを疑ってかかるような見方をする、悪くゆがめた見方をするという意味だと思ってしまっていませんか。
「うがった」というのは「穿った」と書きます。「穿つ」というのは穴をあけるという意味なのですね。「雨だれ、岩をも穿つ」なんていう諺もあります。そういったことから、「普通には知られてないようなところをあばく、微妙な点を言い表す」という意味になったそうです。
してみると、「穿った見方」というのは、「深く掘り下げ、深く考えた見解」という意味になりますね。変に邪推したような見方をすることではないのです。

役不足と力不足

これはひところ、誤用の例として盛んに指摘されていたので、ご存知の方も多いと思います。
「役不足」の本来の意味は、「本人の力量に対して役目が軽すぎること」ですが、文化庁の調査では、半数以上が、「本人の力量に対して役目が重すぎること」という間違った意味であると勘違いしていました。「力不足」(与えられた役目を果たすだけの力量がないこと)と混同しているわけです。

コンサルタントの大事な道具「言葉」の誤用にご注意! まとめ

これは日本語だけにかぎらないのですが、「音位転倒」という現象があります。
かなとかなが入れ替わるというもので、子どもが「トウモロコシ」を「トウモコロシ」と言い間違えたりする(「となりのトトロ」)ようなものものですが、これが定着して、今一般的に使われている言葉になっている例も多く見られます。

  • 新しい: あらたしい  →  あたらしい
  • 山茶花: さんざか → さざんか
  • 舌鼓: したつづみ →  したづつみ
  • 秋葉原: あきばはら  →  あきはばら
  • しだらない  →  だらしない

よく考えると、「新た」は「あらた」と読むのに、「新しい」は「あたらしい」というのは不思議ですよね。「雰囲気」を「ふいんき」と呼んでしまう人も多いですが、これも一般化していないものの、音位転倒の例だと言えます。
言葉は生きもので、時代によって変わっていくということでもありますが、間違っていることを知らずに使ってしまうのは、やっぱりちょっと恥ずかしくもあります。
言葉はコンサルタントの大事な道具です。大切に、正しいと思う使い方をしていきたいものですね。