複雑化した問題をシンプルに捉え直すための「オッカムの剃刀」

複雑化した問題をシンプルに捉え直すための「オッカムの剃刀」

ものごとを簡潔に言い表すことは、ビジネスにかぎらず、コミュニケーションの大切な条件です。
たとえば、時代の空気を代弁する優れたコピーは簡潔なものではありません。
要点がわかりやすい、優れたレポートは、物事を推し進める原動力になります。
このように、冗長さを廃してより簡潔で明快な説明を追求することは、科学の世界で数百年前から重視されてきました。
これが「オッカムの剃刀」というものです。今回は、住宅業界のコンサルタントとしても役立つ、複雑化した問題をシンプルに捉え直すための「オッカムの剃刀」について紹介しましょう。

オッカムの剃刀とは?

「オッカムの剃刀」とは、「ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでない」とする指針です。
こうした考え方は、もともとスコラ哲学にあったのものですが、14世紀に、オッカムという哲学者がこの指針を多用したことで有名になりました。
「剃刀」という言葉が使われているのは、「説明に不要な存在を切り落とす」ということから来ています。
具体的な例をあげて説明しましょう。
例えば、「物質の運動」の説明をするのに、

外から力がかからない物体は神が等速でまっすぐに動かす

というふうに説明されていた場合、「神が」という部分は、物質の運動の説明にとっては不要なので、切り落としてしまうのが、オッカムの剃刀である。
その結果、説明は次のようになります。

外から力がかからない物体は等速でまっすぐに動く(等速直線運動をする)

このように、「剃刀」によって説明に不要な存在を切り落とされ、簡潔な説明になりました。
このため、オッカムの剃刀は、思考節約の原理、思考節約の法則、思考経済の法則、ケチの原理などと呼ばれています。
このように、ものごとを簡潔にすべきだという主張は、その後も様々な偉人がしています。

  • アイザック・ニュートン: 「自然物に関しては、事実で かつ充分な原因だけを認めるべきだ。同じ自然的影響については、できるかぎり、同じ原因を用いて説明すべきなのだ。」(ニュートン力学を確立した17世紀の天文学者)
  • バートランド・ラッセル: 「可能ならいつでも、知られていないエンティティを推定するかわりに、知られているエンティティでの構成を用いるべし。」(19世紀末のイギリスの哲学者)
  • カール・セーガン: 「同様のデータを説明する仮説が二つある場合、より単純な方の仮説を選択せよ。」(20世紀のアメリカの天文学者)

科学が発展する上で、科学者にとって、この「オッカムの剃刀」は科学の方向性を示す重要な指針になりました。無駄なものを排除し、より一般的で、より精度の高いシンプルな理論を構築してきたわけです。

オッカムの剃刀をビジネスに応用する

「オッカムの剃刀」は、主に科学の分野で用いられ、議論されてきました。
20世紀には、当時はまだ証明されていなかった分子の存在をめぐって、論争も起きています。
これをビジネスに活かすには、やはり「剃刀」による切り落としによってものごとをシンプルに整理することに注目することになります。
ビジネスにおいては、複雑なものの方が正しいように思われてしまうことがあります。でも、シンプルな説明や論理の方が正しいということを肝に銘じましょう。

複雑な説明はビジネスではデメリットになる

たとえば、ビジネスのデータ分析を行う際にも、オッカムの剃刀は有効です。
データ分析というものは、分析の仮定や条件、変数の数が少ない、シンプルな分析モデルを使っていることが評価されます。これは、その分析モデルが正しいかどうかということと同じくらい重要なことなのです。
ビジネスデータの分析ですから、その結果は、企業が組織として使える知識になるべきです。そのためには、より多くの人に理解してもらわなければなりません。
シンプルな分析モデルを使えば、その説明もシンプルですが、複雑な分析は、複雑な説明を生むことになってしまいます。
シンプルな分析モデルを見つけるには、目の前の問題に対して、多様な観点で考えることが必要になります。
これは言うのは簡単ですが、実際にはそう簡単ではありません。
多様な観点で考えることには、多くの才能と努力を要します。
知力や体力のみならず、転んでもただでは起きない粘り強さや、しぶとさも求められます。
データ分析にかぎらず、ビジネス上でなんらかの問題に取り組もうとするとき、その状況は単純なものとは言えないことがほとんどです。
そこでは、様々な条件や環境が複雑に絡みあい、もつれあって起きているのです。
その中から本質を見きわめて、シンプルで明るく、深さを失わない結論にたどり着かなければなりません。
単に簡略化すればいいというものでもありません。
こうしたシンプルで良い結論、モデルが見いだされるまでには、試行錯誤と七転八倒を経る必要があるでしょう。

問題を複雑化してしまう、組織の共通認識

あなたが、あるプロジェクトを推進する立場に立っているとしましょう。
そのプロジェクトや組織の規模によっては、その事業を進めるために多くの人間が関わってくることがあると思います。
すると、往々にして、それぞれの立場の人の顔色ばかり伺って、なかなか前に進めなくなってしまうことがあります。最終的な意思決定までの手順も増え、煩雑になり、利害が入り乱れ、堂々巡りが増えてきます。
問題は複雑化し、会議ばかりが増えてしまい、よく考えれば些細なことを決めるだけなのに、無駄に時間を浪費してしまうようなことはありませんか。
問題を解決する道のりはどんどん複雑なものになり、議論を重ねるうちに、相手との人間関係などの要素も入ってきて、もはや何をやっているのかわからなくなるという状況に陥ってはいませんか。
そういうときこそ、複雑に考えないで物事をシンプルに捉えなおすことが大切です。
大事なのはプロジェクトを前に進める推進力で、本来、必要なプロセスは大体決まっているものです。
必要なのは単純な共通意識なのですが、細部まで踏み込んでコンセンサスを得ようとすると、プロジェクトはたちまち停滞してしまうでしょう。
組織の中で複雑さの波に飲み込まれそうになったら、この原点に返り、オッカムの剃刀を思い出して、問題をシンプルに考え直してみましょう。

オッカムの剃刀の注意点

上にも書きましたが、オッカムの剃刀によってものごとを簡略化すればそれでいいというわけではありません。

不必要と切り捨てたものでも、存在は否定できない

オッカムの剃刀は、ものごとを単純化するための手段です。上の最初の説明で「神が」という部分を切り捨てていますが、それは「神が存在しない」ということを意味するわけではありません。それは別の議論となります。

オッカムの剃刀は真偽を判定できない

オッカムの剃刀によってある仮説を切り捨てたとしても、その仮説が間違っていたことにはなりません。オッカムの剃刀は真偽を判定するものではありません。

何が必要かは慎重に判断しなければならない

オッカムの剃刀によって何かを切り捨てようとするときには、慎重さが求められます。
一見、不要なように要素であっても、じつは見落とした事柄によって必要とされていることもあるからです。オッカムの剃刀を過剰に適用して、必要な仮説まで切り落としてしまうことのないように、個々の要素の必要性は慎重に判断しなければなりません。
もう一度繰り返すと、オッカムの剃刀は「ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでない」というものです。「必要以上に」という部分には注意してください。
アルベルト・アインシュタインは「理論はできるだけ単純にせよ、だが限度というものはある」と警告しています。

複雑化した問題をシンプルに捉え直すための「オッカムの剃刀」 まとめ

「最短で目標に向かう」
それがビジネスの鉄則のはずですが、私たちがえてして犯しがちな過ちが、目標や問題を無駄に複雑にしてしまうということです。
それが複雑になればなるほど、実行される可能性は下がっていき、成果が出るまでには長い時間を要することになります。
自分に自信をもち、おそれずに決断する力をもてば、一見、複雑と見えたことでも、その本質は単純なものであるということに気づくことができます。
簡単なことを、より複雑にしてしまう人や、難しい言葉を使って相手を煙に巻く人に惑わされず、オッカムの剃刀によって、本質を単純に捉える訓練を心がけましょう。